2014年3月31日月曜日

僕のこれまで ③大学入学以降(後編)

③大学入学以降(後編)

実家に帰ってから、高校時代の病院とカウンセラーの方にもう一度通うようになりました。

最初は本当に苦しくて苦しくて、何をするのも辛かった。一日中布団の中にうずくまっていた日もありました。
日が経つにつれてだんだんと苦しさが小さい日も出てきたけれど、調子の波はまだまだ大きかったです。調子の波は好不調の波というよりは絶不調か不調かの波でした(苦笑)。

そんなとき、仲のいい友達が連絡をくれました。大学での一番の親友と言える友達かもしれません。彼は共通の友達づてで僕の様子がおかしいことを聞いたらしく、僕のことを心配して連絡してくれたらしいのですが、彼は、彼も同じような状況を経験したことを僕に話してくれ、いつでも連絡してほしいと、力になれることがあったら何でも言ってほしいと言ってくれました。

僕はそれが本当にうれしかったです。何よりも僕のことを理解してくれる人がいるということで大分心が救われました。教授と定期的に連絡を取り合ったことも心の支えになりました。

それからも調子の波はあって順調とは言えなかったけど、だんだんと平均した調子は良くなっていきます。

そして少しずつ、調子が良いと言える日が出てきて、卒業のこともあったから復帰に向けて動き始めました。最初は新幹線で下宿に行くだけですぐ実家に戻ることからはじまって、大学に行く、教授と直接話をする、研究室に顔を出す、そんな風に慎重に段階を踏んでやっと研究室に行けるようになっていきました。

そして、破れかぶれながらも大学を、ついでに研究室も卒業して今に至ります。

復帰するにあたって教授、そして研究に関しては先輩に恩を返しきれないんじゃないかというくらいお世話になりました。
家族や友達、そして病院の先生やカウンセラーの方にも本当に助けてもらいました。
何度も言うけれど僕は本当に人には恵まれる、幸せな人間だと思います。

以上の経験は本当に苦しかったし周りの人にも迷惑をかけたから、良い経験とは口が裂けても言えません。でも、僕はこの経験をこれからの人生の糧にすることはできます。そういう意味では、社会に出る前の出来事でよかった、そう思うのです。

この出来事を振り返って、環境の要因ももちろんあるけど、自分の心身のバランスのとり方は上手ではなかったし、相談するのも遅かったことも原因だったと思います。
あと、これは良いことなのか悪いことなのか分からないけどあまり上を目指さなくなりました。おだやかに過ごせることが一番だと考えるようになりました。成功体験ばかりをして希望で胸いっぱいで社会に出るよりは、失敗をして現実を知ってからの方がいいかな、と失敗した人間なりに考えます。



僕のこれまで ③大学入学以降(中編)

③大学入学以降(中編)

四年目、僕は研究室に配属されました。他にも環境の変化はあったけど、ここではそれは割愛します。

夏、無事に大学卒業後の進路は決まったのだけれど、今思うと僕はそこで燃え尽きてしまっていたのだと思います。試験に向けて勉強すること自体はそこまで辛くは感じなかったし、むしろ好きな科目だけを勉強すれば良かったので楽しくもありました。だけど、試験に対するプレッシャーはもちろん、僕の場合進路に関して迷いがあったのもあって余計に疲れていたのだと思います。合間を見て友達とちょっとした遠距離旅行に出かけたり、ということはしたのだけれど、常に気が張っている状態でした。心を休める暇と余裕が持てませんでした。

そこから休む間もなく研究は卒業論文に向けて本格化し、連日深夜まで研究は続きました。指導教員(教授ではない)からのプレッシャーは大きく、下手なことをいうと罵倒される環境で、研究室はいつもなにかピリピリしていました。さらに毎週週末にはいろいろと進学に向けた準備とか、他にもいろいろしなければいけないことが重なってしまって心と体を休める日がありませんでした。

そして、とうとう僕の心と体に限界が来ます。朝、起きても何もできない。ベッドから出たくないし食欲も全くない。どうにか気分転換しようと散歩してみても何も変わらないしテレビで好きな番組を見ても少しも楽しくないどころか全く内容が入って来ない。そんな日が続きました。

そして僕は先輩にSOSを出し、教授に自分の状況を話しました。教授は大変な人格者で、僕のことを良く理解して下さいました。そして僕は逃げるように両親と実家に帰りました。



僕のこれまで ③大学入学以降(前編)

③大学入学以降(前編)

大学入学にあたって、僕は下宿生活を始めました。


高校時代のこともあって両親は心配してくれていたけど、精神面での問題はなく普通に過ごせていたと思います。高校から同じ大学に入った同級生も割といて、スムーズに大学に馴染むことができたんじゃないかな。

1年目はサークルをしたり友達と旅行に行ったり免許をとったり、のんびり過ごしてた。単位の方も特に問題はありませんでした。

2年目からは新しくバイトを始めました。そのバイトは一年間続けたけど、温かい人たちの中で働くことができたし、今思っても僕は人に恵まれているなあと思います。新しく友達も増えたりして大学生活は楽しかったな。勉強面でも、将来のビジョンが見え始めてやる気がわき始めていました。あ、あと生れて初めて海外旅行に行った。

3年目は大学生活の中で一番充実していたと思います。
サークルや旅行もそうだし、海外の大学にちょろっと行くこともできた。新しいバイトもした。勉強もだんだん面白くなってきて、進級も問題なくできました。

とまあ大学に入ってからの三年間を凄くざっくり振り返ったけど、自分的には充実していたと思います。大学時代に得た一番大きなものは?と聞かれたら迷わず友達と答えます。先輩後輩も含めてだけど、それくらい凄く良い人間関係に恵まれました。

だけど、4年目に入って僕はどん底に落ちることになります。



僕のこれまで ②青年期(高校)

②青年期(高校)

胸躍らせて高校に入ったものの、少しずつ歯車が狂っていきます。

その高校は割と多くの生徒が有名大学に進学する高校で、最初は周りができる人ばかりに見えました。
高校自体は大分緩かったのだけど、1年生の時ある科目だけかなり厳しい先生がいて、テストテストテスト、そして結果が悪いと膨大な課題。それは週末頑張ってやっと終わる量でした。

僕は毎週それが怖くて怖くて仕方が無くなって、体にも不調がでてきてとうとうSOSを出しました。それ以降精神的な好不調の波が大きくなり、いろいろなことが怖くなって病院やカウンセラーにも通うようになりました。自分はもう高校を辞めたいとか思っていて、自分の将来に関しては絶望しか感じられなかった。。。部活も中学からのものを続けていたけど、中学の頃みたいにのめりこむことはできませんでした。

2年生も好不調の波は有りながらも、なんとか学校に通っていました。でもたまに調子が凄く悪い時は休んだり早退していたから、周りの人は不思議に思っていたかもしれません。先生は知ってくれていたけれども、同級生には言えませんでした。当時は自分の状況を伝えても否定されてしまうような気がして、伝えることができなかったのです。だから、心ないことを言われて傷つくこともありました。まあ誤解されても仕方ないと言われれば仕方ないかもしれないです。親しい友達は気がついてくれていたみたいだけれど。

3年生になると周囲も受験勉強に集中する雰囲気になってきていて、僕も本格的に勉強を始めました。塾も小学校から通っていたところに通い続けていたけれど、半分自習室みたいに使っていて先生に相談をしたり、答案を添削してもらうくらいだったと思います。でもあまり大手の塾や予備校に通う気にはなれなかったなあ。

この頃は調子を大きく落とすことはなかったから、勉強に集中できました。勉強に集中できていたから調子を落とさなかったのかもしれません。

受験勉強は苦労も多かったけど模擬試験の結果は割と良く、第一志望に合格することができました。
大変なことが多かった高校時代だったけれど、最後の最後でご褒美がもらえたなと思います。両親や塾の先生もすごく喜んでくれたので嬉しかった。

こんな高校時代だったけれど、悪い思い出ばかりではありません。もちろん楽しいことも多かったし友達と馬鹿なことをしたり遊びに行ったり、そういうものは良い思い出として残っています。
特に高校時代にできた友達の多くとは今でも繋がりが強いし、人生における大きな財産です。



僕のこれまで ②青年期(中学)

②青年期(中学)

中学校に入った僕はまた小学のときやってたスポーツをしようと思ってたのだけれど、荒れていた中学校ということもあって案の定その部活も荒れに荒れていたから別の運動部に入りました。

今でもこの選択は正解だったと思います。僕と同じような理由でその運動部に入った友達が何人かいて、そのおかげで結構盛んな部活になりました。

塾には継続して通っていたけど、勉強なんて定期試験前だけ。普段は部活ばっかりやっていて、それだけでは物足りず友達と地域のクラブなどにお邪魔して練習したりもしていました。
部員の多さからなかなかレギュラーになれなかったけど、最終学年になると遂にレギュラーになれて地域でそこそこの成績も残すことができたのは嬉しかったです。

今振り返っても、自分はいい人間関係に恵まれていたと思います。

勉強の方はというと小学時代からの貯金もあり定期試験では学年でも一番か二番くらいの成績を残せていたとは思うけど、部活に夢中だったこともあって市内の公立高校にいけたらいいかなあと思っていました。
でも、部活を引退してから、中学入試で落ちた中高一貫校への思いがふつふつとわきあがってきて、その学校に高校から入るべく猛烈に勉強しました。今でもよくあんなに勉強できたなあと思います。高校からの定員はかなり少なくてどこの公立中からも毎年一人合格者がいるかいないかのレベルだったから、終始受かるか不安だったけれど、努力の結果なんとか合格することができました。

僕は中学時代に(恋愛以外は)完全燃焼したという実感があって、高校でも頑張りたいと胸躍らせて中学校を卒業します。



僕のこれまで ①幼少期

ブログを始めたばかりで更新過多…。まあいろいろ考えてたことを整理したいという意味でも始めたブログだからこれもありかな。忙しくなったら更新する余裕もなくなってしまうかも。

さて、それはさておき人生の節目に当たってこれまでの僕について考えてみました。

①幼少期

僕は両親と弟を持つごくごく一般的な家庭に生まれました。家族も親戚も仲が良くて、恵まれた家庭だと思います。

両親は、週末になると僕たちを旅行やイベント等いろんなところに連れて行き、様々な経験をさせてくれました。
あと、よく学年の違う幼馴染と一緒に外を走り回って遅くまで遊んでいた覚えがあります。

小学校に入った僕は勉強も特にせず、宿題を出さないなんて珍しいことではなかったし、習い事も何個は始めたけどどれも長続きしませんでした。僕の両親はそれでも叱ったりせず、良く言えば見守ってくれました。

小学校での僕の転機は、友達が入っていた大きいとは言えない個人塾に入ったことだと思います。それも最初は長続きしなかった習い事の一つになってしまうかも知れなかったのだけれど、僕はその塾の先生に惹かれてちゃんと通い続けるようになりました。
駅前にある大きな塾みたいに中学入試に向かってばりばり勉強するような環境ではなくて、のびのび勉強させてくれるのが僕に合っていたのかな。さぼったりすることもなくはなかったけど。
その先生は僕にとっての恩師で、今でも実家に帰った時には会って話を聞いてもらっているし、アドバイスを貰ったりしています。

あともう一つ転機と呼べるものはあって、それはスポーツチームに入ったこと。毎週週末の土日に小学校で活動する恐らく多くの小学校にあるようなチームで、結構楽しかったです。練習や試合でミスをして監督やコーチに怒られたことなんて数えきれないけど、不思議とやめたいって思ったことは一度もなかったと思います。良い同級生に恵まれたのもあるし、やっぱり試合で活躍したり勝った時の喜びを共有するのは気持ちがいいものだったからかな。試合でいろんなところに行ったり、チームの友達と遊ぶことも楽しかった。送別会で泣いたのは今でも良く覚えています。

小学校高学年になると塾にも通ってたおかげか学校でも少しは勉強ができる方で、折角だしと地域で1番の中高一貫校を受験したけど結果は不合格。受験する時もそこまで思い入れはなくて記念受験みたいなものだったのだけれど、不合格って分かった時なぜか凄く悔しくて泣いてしまいました。滑り止めには受かっていたけれど、迷った挙句普通に公立中に進学することになります。



明日から

明日からまた新しい環境での生活が始まります。

どん底まで落ちた後いろんな人に支えられてここまで回復できたけど、まだまだ本調子でないことは自分がよくわかってる。

だからまずはゆっくり環境になじむこと。

頑張りすぎないこと。

自分を抑えること。

出来ることをすこしずつやっていきたい。調子を崩し始めたら早めに相談するようにしたい。一年遅れることになっても、それは悪いことじゃない。みんなと同じである必要はないのだから。



2014年3月30日日曜日

理解してくれる人

苦しい時、自分だけで考えてるとどうしても悪いことばかり考えてしまってさらに苦しくなったりしました。
頭では悪いことばかり考えちゃだめだと思っていても、やはり心は正直というか、言葉にしにくいもやもやのようなものはいつも残ってた(´Д`;)

でもそんなとき、人と話すことで大分救われた気持ちになりました。


仲のいい友達とか、両親とか、カウンセラーの方とか、先生とか。
解決に向かうようなことは何も話さなくても、話を聞いてもらって、中には理解してくれたり共感してくれる人がいて、凄く心が楽になりました。

なんでなのかはよくわからないけれど、自分の悩んでいることは何もおかしいことじゃないんだとか、自分だけじゃないんだとか、そういう気持ちになれた。

悩みの種がなくてもずっと一人でいたらどうしても気持ちが暗くなってしまうこともあります。
人と話すっていうことをもっと大事にしたいな。



休むことも必要

限界が来るまで、僕は活動し続けなければいけないと思ってた。

勉強、バイト、遊びとか、何かしないとって。


休日に家でだらだらしていると凄く時間がもったいなく思えて、自分が嫌になっていました。
周りはみんな有意義な時間を過ごしているのに自分は何やっているんだろうって。

自分に自信が無かったから、自分の頑張りを認めてあげられなかったから、そう考えてしまったんだろうと、今になって思います。

でも、休息って大事。

何も考えずベットの中でぼーっとすると、凄くリラックスできる。
休むことって、だらだらすることって、必ずしも悪いことじゃない。
それどころか絶対必要なこと。



2014年3月29日土曜日

元気でいることが一番だから


まだまだ僕は若造で、これまで経験してきたこと、成し遂げてきたことはそんなに多くないけれど。

これまでの人生、走り続けてきた。上ばかりを目指してきた。


さっきも言ったけど大したことをしたことはない。でもスポーツでも勉強でも、結果を出すことに凄く執着してた。執着してたというよりは出さないといけないっていう脅迫感に襲われてた。


自分でもなんでこんな生き方をしてきたのかわからない。両親もいろいろ自由にやらせてくれる人だった。もちろんこの生き方によって得たものも多いかもしれないけど、犠牲にしてしまったものも大きい。


僕はもう疲れてしまったのかも…



これは僕が無理をしてとうとう駄目になった時、実家の布団でうずくまりながら考えたことです。
走り続けた結果、限界が来てしまった。
車で言うと、ガス欠。
どこまでも走り続けられる凄い人もいるんだろうけど、僕にはもう無理でした。


辛いことっていっぱいいある。
苦しいときもたくさんある。
仕事、学校、人間関係、とかとか。
プレッシャーが大きかったり、体力的にしんどかったり、環境になじめなかったり、認めてもらえなかったり。
精神的に参っちゃう要因っていっぱいある。
そりゃ少しのことは耐えられるけど、耐えられなくなるときもある。


でも、どんなに辛くても苦しくても、自分を責めるのはやめよう、自分だけは最後まで自分の味方でいてあげよう。そう思うようになりました。

時には逃げることが最善であることもある。

周りどう思われるかとか、迷惑掛けるんじゃないかとか、それまで大事にしてきたものを失うんじゃないかとか色々考えるけど、一番大事なのは自分が元気でいることだから。

自分がまた元気になったら、困っている人を助けてあげればいい。

自分を他人と比べないで。見栄なんて気にしないで。現状に満足して。これまで頑張ってきた自分を褒めてあげて。